こうして、まるで誘われるように乾徳寺に着いた私は、整然と並んだお地蔵さんや木にとまって鳴いていた蝉や、何だかんださっそく写真を撮り始めました。最初、ちょっと奥におじいさんがいたのが見えて、「近所のおじいちゃんが一休みしに来てるのかな~」なんて思いましたが、まあとくに会釈もせずすぐに撮影を始めました。
そして、とりあえず目の前の興味あるものを撮り終えて、ぐるっと周りを見渡すと、さっきは白いアンダーシャツのようなものを着ていたおじいちゃんが、紺色の着物を羽織っているのが見えました。「寒いのかしら?」なんて思って再び他に目をやろうとすると、何と今度はおじいちゃんが私に声をかけてきたのです。「これも縁だから、こちらにいらっしゃい」と。
一瞬躊躇しましたが、断る気にもなれずそのままおじいちゃんのそばへ。おじいちゃんは分厚い本と薄い冊子を持っていて、紺色の着物に接ぎをあてた白い足袋を履いていました。そしていきなり、最近の若者が命を大切にしないことや欲が深すぎるといった話を、聞き取りづらいお年寄り特有の話し方で伝えてくださいました。
例えば、今の人は自分が幸せの中にいるのにそれに気がつかないで、欲ばかり大きくなっている、と言いながら、水のありがたみに気づかない魚の喩え話をして下さったり。
このあたりから、「もしやこのお方は乾徳寺の住職さんだろうか」と思い始めたけれど、ご本人が自己紹介してくれるわけでもないので、半信半疑のまま話を聞き続けました。でも、何だろう、この静かなオーラは。芸能人のオーラのように目に見えるオーラではなく(オーラが見える、というのも変な言い回しかな)、一見ごく普通のおじいちゃんみたいなのに、そばでその語りを聞いているだけでこちらの気持ちが自然と高揚してくるのです。
こんな風にしばらくお話を伺っているうち、おじいちゃんが手に持っている冊子が、おじいちゃんが90歳の記念に作った句集であることを知りました。そして、ここに収められた言の葉たちが、お寺の境内のそこかしこに飾られていることも。
それで、「ああ、やはり住職さんだったのだ」と気づいた私に、住職様はその貴重な冊子をくださったのでした。そして、「ありがとうございます」とお礼を言った私に、「ありがとうと言うのは、私の方なんですよ」と。
その後、住職様とお寺の門のところまでおしゃべりしながら並んで歩き、彼は母屋へ、私は本堂へと、ご挨拶をして別れました。母屋では、住職様がうれしそうに自慢していたひ孫の元気な声が響いていました。
住職様は、私との出会いを「縁」と言って下さった。
「縁」というものの本当の意味を、私は今まで知らなかったかもしれない。今日で少しだけわかったのかもしれない。そんなことを思った一日でした。
決して広くはない敷地の至る所に、お地蔵様や観音様が所狭しと並べられていました。次はぜひ、夫と息子を連れて行こう。
4 コメント:
楓さま
お許しくださりありがとうございます
お坊さんに説教されるかもなあ
私なら・・
もっと駄洒落を精進しなさい
とは 言わんだろうなあ
★順ねえさま
こんばんは☆ fesladyです。
(ここでは楓と呼ばないでね。笑)
駄洒落を精進しろと言われたら笑えるね〜!
でも、さらに磨きがかかったりして(爆)
〜今日の懺悔〜
カミ様、呼び方を間違えてしまいました
feslady!!だったのですね
でも、fesmanに成っている・・・
ああ カミよ どちらなのでしょう
迷えるコヒツジをお救い下さい
鳩山氏も駄洒落好きらしいよー
★順ねえさま
fesmanの部分は直せないのだ。
突っ込まんといてくれ〜(笑)
年配の男性って、だいたい駄洒落好きというのが
私の印象です。元上司だけかな。
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